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「金色夜叉」~寛一とお宮が見た涙の月・熱海海岸~

明治文壇の大御所として知られる尾崎紅葉の代表作「金色夜叉(こんじきやしゃ)」。明治30年1月1日から同35年5月11日まで読売新聞に連載され、熱海の名を全国に知らしめた。追いかけて許しを乞うお宮を貫一が下駄で蹴り飛ばす別れのシーンはとりわけ話題となり、熱海の海岸は国民の憧れの地となった。「お宮さんが蹴られたのはどこかしら」と訪れた人が探すことから、大正8年には金色夜叉の碑が建てられ、傍らに立つ「お宮の松」とともに新名所となった。ここに「貫一・お宮の像」が建てられたのは昭和61年のこと。今でも多くの観光客が訪れる場所になっている。熱海では尾崎紅葉の偉業を称え遺徳を偲ぶ『尾崎紅葉祭』が毎年開かれ、2019年には「貫一・お宮の像」横に新たに尾崎紅葉記念碑が建立された。

今日の熱海温泉の発展、にぎわいの礎を築いたといっても過言ではない尾崎紅葉だが、当人は江戸の芝中門前町生まれ。学生時代には英語や漢学、漢詩文も学んだ。明治という文学近代化の過渡期にあって、当時の人気作家としてのみならず、外国文学の受容や古典文学の残映、文体の模索など、新旧の様々な要素をはらみ、大きな存在感を放った。明治の大文豪らしく泉鏡花,小栗風葉,徳田秋声ら多くの門下生を育てたが、明治36年、35歳で早逝。執筆中であった「金色夜叉」は未完のまま終わった。そして門下の小栗風葉が明治42年に「終編金色夜叉」として書き継いだ。

日本国民を熱狂させる大作のクライマックスになぜ熱海海岸が選ばれたのか。それは紅葉が学生のときに初めて訪れた熱海が特別な景色に映ったからに違いない。熱海は物語が生まれる町といえる。

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