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「春琴抄」~熱海を愛してやまなかった鬼才~

俗世から逸脱した作風ながら、所謂耽美(たんび)派の大作家らしい高い芸術性を持ち合わせた文豪・谷崎潤一郎。美を人生の最高の価値とし、美の享受と創造をめざす流派ゆえ、奇抜かつ過激な作風に抵抗を覚える作家も少なくなかった。『悪魔』や『異端者の悲しみ』などがその典型であるが、多方からの抑圧をものともせず、自身の作風を貫き通してきた意志の固さは、自信の表れともとれる。そしてのちに耽美派を確立させた一人として世間から絶大な評価を受けるようになったことは、端麗な文章、作品ごとに異なる繊細な言葉選びをはじめとした潤一郎の素質が漸く認められたことに他ならない。

大正12(1923)年には関東大震災で被災、以降は関西に移住。移住をきっかけに作風に大きな変化をみせる。「痴人の愛」などで古典主義的なエッセンスを強め、やがて「春琴抄」へと実を結ぶ。

時は流れ昭和25(1950)年、潤一郎が65歳の時にそれまで住んでいた京都を離れ、熱海の別荘「先の雪後庵」に転居した。それからというもの、熱海の温暖な気候と豊かな風土に惚れ込み、この地に腰を据え『鍵』、『瘋癲老人日記』など多くの名作を世に輩出。古典主義的思想に傾倒しながらもオリジナルの作風にこだわり、執筆活動を続けていた。

『続雪後庵夜話』を発表したあくる年の昭和40(1930)年7月、その生涯に幕を閉じた谷崎潤一郎。決して順風満帆とは行かなかった人生。果たして没する直前まで執筆活動にこれほどまでに熱中できた原動力とは何であろうか。そう、その一つに熱海のグルメがある...。

by mori

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